2013年10月21日月曜日

現地レポート! 「オークパンサー祭」

こんにちは!

ラオス特派員ですー!


10月も下旬、季節はすっかり秋ですね。


まあラオス夏だけどな!

気温30℃だけどな!

ヤシの木生えてっけどな!

っつってな!


夏といえばお祭りですね。

いつでも夏である以上、毎日がカーニバルなラオスですが(※若干盛った)、

この時期は、よりいっそう派手にお祭り騒ぎをします。

何のお祭りかって?

うんとねー、それはねー、



ググりましょ!

話せば長くなっちゃいます。


ざっくり言えば、仏教のお祭りです!ってことで許してください。


ビエンチャンのメコン河沿いは、1週間くらい前から、毎晩もーすっごいです。


期間限定で現れた、ジェットコースター、野外DISCO、ダンスステージ、ビアガーデンに、

今までどこに隠れてたんやってくらいのラオス人が押しかけます。


女の子とか仮装しちゃってるしね!

ハロウィンかっ!てね!

そんで一夏の恋も生まれちゃったりね!

いつも夏やんか!ってね!

てねてねっ!


そんなラオス人は、敬虔な仏教徒。

どんなにハイテンションでも、このお祭りの本来の目的は忘れません。


願い事をしたり、体内の悪いものを浄化したりするために、

火の灯ったロウソクとお花を河に浮かべ、手を合わせます。


この一瞬、彼らはお祭りの喧騒からは離れます。


毎日、近代的オフィスで働くサラリーマンも、バイクを乗り回してる大学生も、食堂でご飯作ってるおばちゃんも、

みんな一緒にお祈りします。


時代が変わるにつれ、西洋化されていく町から自然が消え、民族衣装が消え、澄みきった空気が消えても、


ずっと昔から受け継がれてきた大事な気持ちは消えないことを、

その様子は物語っていました。




2013年10月13日日曜日

現地レポート! 「オリエンテーション」

はじめまして!

学生団体J&Lラオス特派員ですー。

ここにたどり着いたということは、あなたはラオスが好きなのですね!

いやはや!嬉しい限り!

え?

検索ワードにたまたまひっかかっただけ?

なんてことを言うんだい!

せ、せ、せめて!この記事だけでも!

見ていってくださいな!


ラオスとは!


中国・タイ・ベトナムを始めとする名だたる大国に挟まれた小さな国です!

海なし!経済力なし!

あるのは長い川と、おいしいビール!


国中に流れるのんびりした空気と、そこに住む人々の暖かさは、長旅で疲れきったバックパッカーたちのハートをがっちり掴んで離しません(※ガチ)。


世界中の修羅場をくぐり抜けた戦士たちにとって、物価が低く、スリ・ぼったくりの少ないこの国は、まさにいやしの里なのでしょう。


実際に、首都ヴィエンチャンには、ラオスに沈没した「元」外国人がわんさかおります。


沈没は免れたものの、中毒になったかのように、何度も訪れる旅人も数えきれません。

そう、中毒。

ラオスのお酒はほんとにおいしいのでお気をつけください。


話変わっちゃいましたね。

失礼しました!


ラオスには、なんにもないのです。


タレントとか、キャラクターとか、ミュージシャンとか、「ラオスといえばこれ!」みたいな有名なものもないんです。


でも、なんでもあるのが当たり前の日本人が忘れてしまったものは、ちゃんとある気がするのです。


日本にあってラオスにないもの、ラオスにあって日本にないもの、

このふたつをあわせたら、なんだかいいことが起こりそうです。


それでは、明日あなたの検索ウインドウに、「ラオス」というワードが現れることを祈って。

さよーならー!


あ!そうだ!写真!


ビエンチャンにある、凱旋門(パトゥーサイ)です。

建設に際してのいきさつは色々あるのですが、一言で言うと、


フランス!


さようなら。



2013年10月11日金曜日

sabaidee!


こんにちは!
J&L副代表岡村です。

私たちJ&Lは、若者を中心として、ラオスと日本の架け橋になるという理念の元結成された、学生団体です。
J&Lの詳細や活動紹介は、コンテンツの中の「ABOUT J&L」をご覧ください。
J&Lと共にラオスの職業訓練生を支援する認定NPO団体、IV-JAPANについては、「ABOUT IV-JAPAN」をご覧ください。

2013年9月8日日曜日

9月の活動予定

 J&Lの活動予定です

  • 2日  J&L幹部ミーティング
  • 3日  J&L全体ミーティング
  • 9日  J&LとCopenica合同ミーティング
  • 10日   ココナッツクッキー試作、厨房借用依頼提出
  • 12日   IV-JAPAN日本事務局訪問、販売商品確認、       With You展示場下見
  • 16日   田中代表、岡村副代表のラオス訪問(〜27日)

2013年7月30日火曜日

2013年 J&Lメンバー

代表   田中奈津美(4)
副代表  岡村佳恵(4)
      柳沢美竣(4)

      三浦奈綾(4)
      戸田成紀(4)
      毛利香菜子(4)
      野田葵(4)
 
      滝口芽衣(3)
      辻村まりな(3)
      縫田あゆみ(3)
      山本唯(3)
      中山祐太(3)

      河戸幸恵(2)
      光成奈々子(2)

      片居萌子(1)
      高瀬みお(1)

2013年7月29日月曜日

宗教

 ラオス人のほとんどは『上座仏教』を信仰しています。ラオスには多くの寺院があり、ラオスを訪れた際にはオレンジ色の僧衣に身を包んだお坊さんが街中を歩くのをよく目にするでしょう。ラオスの上座仏教は寺院を基点として、人々の日常生活に深く溶け込んでいるのです。


✿具体的に上座仏教は人々の生活とどう関わっているの?
①托鉢
ラオス人の1日は「托鉢」から始まります。托鉢とはお坊さん側の表現で、人々が行うのは「喜捨」です。毎朝お寺から鉢を抱えたお坊さんと20歳以下の見習い層の行列がやってきます。すると、道端で腰を低く待っていた女性たちを中心とした在家者たちが、炊いたばかりのご飯などをその鉢の中に入れていきます。これが「喜捨する」ということです。お坊さんたちはお寺に戻り、人々が喜捨した朝ご飯を食べるのです。これはお昼にもあり、今度は村の女性たちがお寺へ向かい昼ご飯を喜捨します。この役割は各世帯の持ち回りとなっています。

②出家
「出家」とは悟りを開く道のりへの出発点で、上座仏教徒の男性が剃髪(頭の髪や顔のひげを剃ること)し、黄衣をまとい俗世界を離れ寺院にとどまります。ラオスの上座仏教徒にとって出家とは最大の徳を積むことであり、身内の男性に対し一生に一度は出家するべきであると勧めます。
出家期間は人によって様々で、早い人では数日で俗世界へ戻って来ます。


《参考:ラオスを知るための60章(明石書店)》

歴史

 ラオスがいつから成立したのかは、昔の資料が残っていないため、断定することができませんが、諸説ある中で、1353年にラオ族のファーグムという人が建国した、ラオ族最初の統一王朝ランサン王国がその起源として最も有力だと考えられています。ルアンパバーンに都を置くランサン王国の時代は、タイやベトナムと戦い、またラオ族文化と仏教も普及しました。1479年、ベトナムの侵攻により王国は崩れましたが、その後はベトナム勢を撃退しました。

 16世紀になると王国の勢力は最大になり、ラオ族の世界がチャンパーサック地方まで拡大されていきます。しかし1551年に即位したセタティラートの時代に、ビルマとの間に覇権争いが勃発しました。これを受けてセタティラート王は、ビルマの侵攻を避けるために、1563年ビエンチャンに遷都しました。一度ビエンチャンはビルマ郡に占領されますが、17世紀のスリニャウォンサーの時代に、ランサン王国は平和で仏教芸術が花開く黄金期を迎えます。

 スリニャウォンサーの死後は王位継承争いが起こり、1700年代初頭にランサン王国はルアンパバーン王国ビエンチャン王国チャンパーサック王国の三国に分裂し、(シャム)タイの支配下に置かれてしまいます。 

 そんなラオスのピンチに現れたのがアヌ王です!1804年にビエンチャン王国の国王として即位したアヌは、1827年シャムに反旗を翻します。結局アヌは撤退を余儀なくされますが、反撃は失敗に終わりますが、現在においても、アヌはラオスで最初に独立を求めたひとだといわれ、その勇気を讃えられています。

 その後しばらくシャムの支配が続きますが、1893年10月のフランス・シャム条約でメコン川東岸においてフランスの支配がスタートします。

 20世紀になるとラオス全体でナショナリズム運動が起こります。1940年代はルアンパバーン王国のペッサラートによるラオス刷新運動(ラオ・ニャイ運動)が顕著になり、文学や歴史研究を通してラオスアイデンティティが確立していきます。これと同時期にタイとフランスの間でタイ・仏印国境紛争が勃発し、タイが勢力を拡大してきますが、タイの支配から脱却するためだけでなく、ラオスの完全独立を目指して行われるようになりました。

 その動きの中で、1945年にラオスではじめてラオス人によって構成される政府、ラオ・イサラ(自由ラオス)政府が、樹立されましたが、フランスのビエンチャン占領により、ラオ・イサラ政府は万国へ亡命します。亡命政府を打ち立てたスパーヌウォンはベトミン側に、スワンナプーマーはフランス側につき、ペッサラートは中立の立場を選んだため亡命政府は解散しました。

 1945年から1975年の30年は、ラオスにおいて、独立をめぐった「30年に及ぶ闘争の歴史」と呼ばれています。1950年、ベトミン側についたスパーヌウォンとカイソーンは新組織、ネオ・ラオ・イサラ(ラオス自由戦線)を結成し、フランス領内での独立ではなく、ラオスの完全独立を目指して北部に解放区を築きました。1953年にラオス王国の完全独立がなされ、1975年には現在のラオス人民民主共和国が成立しました。

 参考文献:ラオスを知る60章 130~159ページ