2013年12月31日火曜日

大晦日ですね!

 サバイディー!J&Lの岡村です。2013年も終わっちゃいますね!みなさんはどんな一年をお過ごしになったんでしょうか。個人的には、あまりにあっとゆう間でちょっと惜しい感じがします>_<

 私たちJ&Lは、ラオスと日本の若者の架け橋となり、ともに互いの国のよき未来を築くために、東京外大の学生を中心として立ち上がった学生団体です。2013年は、田中代表を中心に発足し、活動を進めてきました。初めてのことばかりで難しいこともたくさんありましたが、メンバーの向上心とあふれるラオス愛でがばってきました!まだまだ駆け出しの段階でありますが、2014年は日本とラオスがもっと近づき、J&Lの活動が国際協力の一歩になれたらいいなと思います(^^)

 今年一年、たくさんの出会いと支えの中で活動できたことを心から感謝し、来年はさらに積極的にがんばっていきたいと思います!これからもなにとぞよろしくお願いいたします!

 みなさん、すてきなお正月をお過ごしください❤それでは、ソークディ ピーマイ(@^_^@)

2013年12月24日火曜日

現地レポート! 「クリスマスの托鉢」

こんにちは!
ラオス特派員です!

クリスマスですね!

まあごくごく一部のリア充(※裏切り者と呼ぶ)はおいといて、多くの日本人にとってはごく普通の火曜日かと思います。

これを読んでるあなたにとっても、あなたがクリスチャンでない限りは、なんてことない普通の平日ですよね!!

ね、ね、ね? そうだよね??!?!??



それにしても日本はおもしろいですよね。

仏教と神道とキリスト教の行事を楽しむことができるのですから!

仏教徒にとって、クリスマスなど「異教徒の行事」程度に過ぎないようで、

ラオスでは今日も1日、ごく普通の生活が営まれます。



いつもどおり、朝には「托鉢」が行われます。

托鉢は、仏教の修行のひとつ。

お坊さんが信者からその日の食べ物を得、信者はお坊さんに施しをすることで、徳を積むというもの。

お坊さんになれない、女性などは托鉢を通して徳を積むことができます。

タイやミャンマーなど東南アジアの仏教国では、托鉢をするオレンジ色の袈裟を着たお坊さんの行列が見られます。

ラオスに関しては、世界遺産の古都ルアンパバーンのそれが有名です。

しかし、お坊さんのいるところに托鉢あり。

もちろん、首都ビエンチャンでも毎朝行われています。


朝日が昇る前、5時。

お寺の鐘が、静まりかえる町中に響き渡ります。

その音に誘われて道に出ると、何十人ものお坊さんが一列になって歩く様子が見られます。

道のわきに点々と座る人々は、お坊さ
ん一人ひとりが抱える大きな器に、

自分達が作ってきたり買ってきたりした食べ物を入れます。

そこに会話は一切ありません。

聞こえる音といえば、どこかで吠える犬の鳴声、時々通りすぎる車の音、

そして、お寺の前で立ち止まってお経をあげるお坊さんの声。


離れて見ていた私は、その情景に、言葉が出ませんでした。

この時の托鉢を、「する者」でも「される者」でもない、第三者として見ていたのは自分だけでした。


ラオスで、一国の首都ビエンチャンで、一年中、毎朝欠かさずひっそりと続けられる光景。

それは、誰に見せるわけでもない、ただ自分達の信仰心に従うのみの人々が産み出した、
とてもとても、美しいものでした。


2013年12月13日金曜日

J&L 新幹部決定!

サバイディーみなさん!
日本は寒くなってきましたね、そしてもうすぐクリスマス。ウキウキですね!←

J&Lも、3年生の就活開始に伴い、新しい幹部が決定しました!

代表 岡村佳恵
副代表 藤村虹帆
会計 片井萌子

12月13日、本日の幹部ミーティングから、新幹部としての活動がスタートしました。
前代表や幹部が築いた土台の上、日本とラオスの若者のさらなる親交と発展のために、がんばっていきたいと思います(@^_^@)!

2013年12月4日水曜日

活動報告 ~国際フェア2013~

 続いて11月2~3日さいたま新都心駅近くのケヤキ広場で行われた国際フェア2013(以下ケヤキ)についてのご報告です!

 一か月前のGFと違って、今回はYOUTHとしてJ&Lのみの参加になったので、実働メンバーが少なく大変な面もありましたが、一人一人がのびのびと参加していたなぁという印象でした。

(3年生の山本さん。たくさんの方々に、積極的に呼びかけてくれていました。
リス族の衣装もばっちり似合ってますね!)

 今回のケヤキでは、テントをまるまる1つ使用できたことと、GFの経験があったこともあり、前回の反省を反省を活かしてラオス紹介と職業訓練生のブースを分けてよりわかりやすい展示を作ることができました。また、回数を重ねるごとにメンバーそれぞれの解説にも自信がついてきて、聞いてくださる方々の共感や関心もたくさん引き出すことができたように感じます。

 
(田中代表と、3年生の縫田さん、辻村さん。シンも似合ってるね!)

(一時ブースはこんなにも人であふれました!
中には30分くらいもお話を聞いてくださる方もいました。)

 2日間のブース運営が終了してからは、GFとケヤキ両イベントでの総売り上げの一部を、IV-JAPANに寄付させていただきました!

(みんな本当にお疲れ様!)

 私たちは当たり前のように学校に通い、勉強できたりバイトを稼いで友達と遊ぶ毎日を送っていますが、同じアジアに住む人の中には、自分で家族の生計を立てようとする若者もいます。毎日過ぎていく日々の中で、職業訓練を受けられることに感謝しながら、一生懸命頑張っている女性たちがいます。同じ若者として、なにか一緒にできないかと考えたことが、J&Lの発足のきっかけにもなりました。
 大学生にできることとなると限られてしまうと思いますが、GFやケヤキのようなイベントで、私たち日本の若者を通して、来場してくださった方々一人ひとりが、ラオスという国を少しでも近く感じ、職業訓練生に思いを馳せ、応援したいとおもってくださったのなら、本当にうれしいと思います。

2013年12月3日火曜日

活動報告 ~グローバルフェスタ2013~

 ご更新が大変遅くなりました!
10月5~6日、日比谷公園で行われたグローバルフェスタ(以下GF)の活動報告です^^

 昨年行われたGFにも、東京外大ラオス語科の生徒がIV-JAPANのお手伝いとして参加し、今回もIV-YOUTHとしての参加ということでしたが、J&Lとして初めて大きなイベントを経験するということもあり、限られた時間の中でメンバーも積極的に参加してくれました。

(1年生の片井さんです。ほかのみんなもがんばって準備してくれました!)

 今回のGFは、活動紹介と小物販売によるIV-JAPAN広報および活動資金の収集を辞し目的とし、IV-YOUTHメンバー16名が参加しました。

(J&L田中代表、柳沢さん、copenica鈴木さん、茂木さん、
IV-JAPAN日本支部の内部さんのスリーショット)

 東京都の中心ということもあり、来訪者も多く、そして初めて参加するメンバーも多かったため、手さぐり状態での参加でしたが、メンバーひとりひとりの職業訓練学校やラオスの現状の説明に、たくさんの人々が耳を傾けてくださいました。国際関係に関心のある方々が多かった印象を受けました。
 今回の参加で、メンバーひとりひとりの自信やラオス愛を深めるひとつのきっかけにもなったように思います。、また、copenicaとの初めて共同活動を通して、お互いの強みを学んだり、協調性の重要性を実感するなど、本当に実りの多い期間となりました。

2013年11月19日火曜日

現地レポート!「タートルアン祭」

こんばんはー!
ラオス特派員です!

いつの間にか師走も目前です。
年末に向けてせわしなくなる時期ですね。

忙しいのは、お寺のお坊さんも一緒です。

お坊さんも走り回らなければいけない季節だから、「師走」なんです…!

今の私の渾身のどや顔をみてください!



もちろん、上座部仏教が国教になっているラオスも例外ではありません。

11月の満月の日は、ビエンチャンでタートルアン祭りが開かれます。

タートルアンという黄金の仏塔で行われる、国内最大の仏教行事の一つです。

町の雰囲気は一週間くらい前からお祭りムードで、
みんなの仕事も進んだり進まなかったりするとか…しないとか…?

普段からプライベートタイム重視なラオス人からさらに勤労意欲を奪う、

金色に輝く塔の神秘に迫って参りました!

11月17日、満月の日の早朝。

日曜の朝にも関わらず、托鉢へ向かう人々で道は混みあっていたため、

公共交通機関への淡い期待を棄て、
1時間以上歩いてタートルアンへ。

敷地内は、托鉢のため列をなすお坊さんと人々でひしめき合っていました。

果てしない行列をかきわけ、どうにか黄金の塔の囲いの外側に到着。

そこらで購入した花とロウソクを手にした私は、人々の波に流されるままに、

一年のうちこの日だけ一般公開される、囲いの中に入りました。

そこでは、ロウソクに灯をともし、花を手向け、手を合わせる人々が、仏塔をぐるりと取り囲んでいました。

その光景はさながら、大事なものを壊さないように、てのひらでそっと包み込んでいるかのようでした。

私は、迷いました。

信徒ではない私が、この輪に参加してもいいのか。

未使用の、きれいな花とロウソクを持って立ちすくむ私の横に、
その時、一人の女性が立ちました。

一瞬、とても柔らかい笑顔をこちらへ向けた彼女は、靴を脱いで、その場に座り込みました。

それを見た私は、それまでの迷いを忘れ、彼女と同じように、

見よう見まねで、手を合わせ、目をつむりました。

何を考えていたかは覚えていません。


そのあと、帰路もすべて徒歩だった私は、家に帰ってすぐに寝てしまいました。

起きたあとも疲れを感じ、その日はもう何もできませんでした。

ただ、夜になって、満月を眺めることくらいはできました。

千切れ雲の合間から見たその日の月は、

とてもとても、明るかったです。

2013年11月14日木曜日

ラオス渡航記3 *ナムグム探検!*

 ラオス滞在3,4日目は、以前日本に留学に来ていたラオス人の友人たちと一緒に、今まで足を踏み入れたことがなかったビエンチャンの遠方まで行ってみました!


(お天気にも恵まれました!)

 まずはナムグム!ナムグムはビエンチャンの北方に位置する大きな川で、近くにある大きなダムでラオス人が遊んでいる姿も目に映りました。


(息を飲むほどの絶景!海かと思うほど壮大でした!)


(田中代表とラオス特派員の滝口さん!笑顔がいいね!)

 友達が予約してくれていた船に乗り込み、船上ランチを楽しみました。船にはカラオケも設置されていて、ラオスの伝統料理を昼ごはんに食べながら、終始笑いの絶えないとても楽しい時間を過ごしました。


 そのあとは人生初!そしておそらく最後になるんではないかとも思われる、バナナボートに乗りました!まさか海のないラオスで、しかも首都ビエンチャンにてバナナボートに乗れるなんて思っていなかったので、本当にびっくりしました!我を忘れてひたすら楽しんでしまいましたw



 この日はまるでラオスとは思えないほどの経験をしました。船上ランチの代金は一人200000Kip、バナナボートは約50000Kip。日本円にすると総額2500円です。
 「2500円出せば船の上でご飯を食べてカラオケもできて、バナナボートにも乗れるなんて安い!」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、たかが2500円でもラオスでは簡単に出せるほどの金額ではないのです(私もお会計を聞いてびっくりしたくらいです…)。

 ビエンチャンでの一か月の生活費は、100ドルあれば十分だと、どこかで聞いたことがあります。ラオスにはお金がなくても、お風呂がなくても、人々は満足して毎日笑顔で生きていると思っていました。しかしこの日を通して、ラオスでも、一部の裕福な人々は潤った生活を送っているのかもしれないと感じました。経済格差についてはこれからの課題ですが、ラオス経済が発展することは国にとっていいことだとは思います。でも…私が個人的に描いてたラオスのイメージ、ラオスらしさというものとは違った一面を見て、ちょっぴりさみしい気持ちになった一日でした。

ラオス渡航記2 *OJT訪問、パトゥーサイ*

 続いての渡航記です^^
ラオス滞在2日目はOJT1を訪れました。


 OJT1のある敷地内には、初級・中級コースの校舎と、生徒たちの生活する寮も併設しています。初級・中級コースはラオス政府へのハンドオーバーが完了しており、現在はラオス政府の自活運営が行われています。最終的には上級コースも政府へハンドオーバーするのが目標となっています。

 さっそく初級・中級コースの授業を見学させていただきました!


(縫製コースの授業の様子)

 初級・中級コースは実習がメインの授業が行われています。いろいろな事情で進級せずに途中で働く生徒のためにも、初級段階から実用的な技術教育が施されています。授業中の雰囲気はとても活発で、それでいて生徒たちはみんな真剣な表情で取り組んでいました。


(生徒が作った洋服たち。生地もおしゃれで見てるのが楽しくなりました♪)


(調理コースの授業風景。代表もちゃっかり参加しちゃいましたw)

 こちらのOJTではお食事と、代表のシンを仕立てていただくことにしました。シンというのは、ラオスの伝統民族衣装の巻きスカートです。ラオス人の生活には欠かせないシンの仕立てがなんと激安15000Kip(生地代別。生地はナイトマーケットで65000Kipでした)!

 OJT1には、J&Lメンバー柳沢さんがインターンをしていたときにお世話になったノイ先生もいらっしゃったので、記念に写真も撮らせていただきました。


 OJT訪問後は、レンタサイクルでパトゥーサイまで行ってみました!フランスの凱旋門によく似ていますが、実は結構小さめです(笑)階段を汗だくになりながら上ると、お土産ショップなどがあります。中での撮影は禁じられていて写真に収めることができなかったので、みなさん是非ご自分の目でどんなところなのか確かめてみてください!


(パトゥーサイの上から見た景色はこんな感じです!壮大!)

2013年11月3日日曜日

現地レポート! 「朝の市場とフランスパン」


おはようございございます、ラオス特派員です。

眠い…しかし学校に行かなければ。

只今、午前7時30分。

学校行きのバスに乗る前に、市場で朝ごはんを調達しようと思います。

(※低血圧につきテンション低めで進行)


私は、ラオスの朝が好きです。

夜は夜で楽しいですが、朝がいいです。

その理由は、

その1. 車が少なく空気がキレイで涼しいから

その2. 道端で寝てる以外の酔っ払いがいないから

その3. 落っこちてる動物のう○ちに気づかないということがないから


その3は重要ですよね。

ほら、下校途中うっかり踏んじゃって、家に帰るまでの間クラスのお調子者にからかわれ続けて、家着いた瞬間泣いちゃった苦い思い出、誰にでもあるでしょ。

休み時間ノートに迷路書いてた系男子と、「ちょっと男子ー!」って言えない系の女子は、特にツラいですよね。

まあ私なんですけど。




着きました。

ビエンチャン中央バスターミナル脇の市場。

すでに市場には、たくさんの人が集まっています。

野菜、果物、肉、お菓子、たくさん並ぶ商品の中で特に目を引くのが、焼きたてのフランスパン。

大量のフランスパンを抱えたおばちゃんが市場から出てきます。

この市場は、町中のカフェや屋台の問屋的役割も果たすようです。

とはいえ、もちろん私のような一般人にもフランスパン(6本入り約100円~)を売ってくれますし、その場で具を挟んでバゲットサンドを作ってくれます。

「カオチーください」(※カオチー=フランスパン)

「何挟む?」

「何でも」

「じゃあこれとこれとこれね(パパパー)これから学校?」

「そうです」

「そっか~たくさん勉強してきなね~」


具だくさんのカオチー、60円。

おばちゃんのスマイル、0円。



やっぱり私は、ラオスの朝が好きです。

今日も頑張りましょう。

2013年11月2日土曜日

ラオス渡航記1 *ラオス入り、初めてのOJT訪問*

 サバイディー!
J&L副代表岡村です。
遅くなりましたが、先日のラオス渡航についての記録を更新したいと思います。

 9月26日の飛行機で羽田国際空港からクアラルンプール国際空港へ入国しました。マレーシアでは、寝る間も惜しんで観光を楽しませていただきました…(笑)



(動画はマレーシアでのある晩の様子。田中代表と私です)

 そして29日にようやくビエンチャンに到着しました!
ホテルで一休みした後、中心部を少し離れたOJT2を訪れました。


 OJTでは、初級・中級を終えた調理・美容・縫製コースの職業訓練生が、実際に一般のお客さんを相手に働いています。売り上げは生徒でシェアし、仕入れや運営もすべて生徒たちの手でなされています。

 OJTにはじめて訪れた田中代表…ドキドキですね!


 ひとまず体験してみないことにはなにも分からない!ということで、ここで私たちは、ネイルアートと、ラオスの伝統衣装シンの仕立て、食事を注文し、施してもらいました。

 美容コースのOJTではネイルアートやマッサージ、ヘアカットなどを体験できます。


 田中代表、早速ネイルアート中。今回ネイルアートを担当してくれたのは美容コースのジョアンさん。値段は30000Kip(日本円にして現在のレートで400円しないくらい。)とお手ごろ!真剣なまなざしです…。


 クオリティも高いです!代表もご満悦の様子。


 食事はカツ丼としょうが焼き定食を注文!調理コースのOJTではラオス料理はもちろん、日本料理やタイ料理、西洋料理、ときには各国料理のフェアなども行っており、さまざまな料理を味わうことができます。


 作ってくれた訓練生とパシャリ! 

 また、この日はIV-JAPANの代表冨永さんや、ラオス事務所で勤務なさっている大滝さんにお会いし、ラオスでのIV-JAPANの活動についてお話を聞かせていただくことができました。


 さて、OJT2を後にした私たちは、その後も夜のラオスを堪能するためメコン川沿いに繰り出しました!

 


 夜になるとメコン川沿いの広場は、昼間の静けさが嘘に思われるくらい、賑わいであふれます。人々がラオスの伝統小物や洋服などを持ち寄って、ナイトマーケットとなるのです。安くてかわいい小物がいっぱいで思わずにやり。
 ナイトマーケット自体はビエンチャンだけでなく他の県でも多く見られます。みなさんがラオスを訪れる際には、お土産調達に絶好の場だと思うのでぜひ足を運んでみてください♪




国際フェア2013


こんにちは、イベント情報です!


学生団体J&LはIV-Japanとして
今週末(11月2日3日さいたま新都心けやきひろばで行われる
国際フェア2013に出店を予定しています!

ブースは森のパビリオン、K−73です。

小物販売から展示まで幅広く取り扱っておりますので、是非お立ち寄り下さい!

以下、イベントの詳細情報です。



イベント名   : 国際フェア2013 〜埼玉県のNGOの祭典〜
日時      : 2013年11月2日(土)、3日(日) 10時〜16時
会場      : 埼玉県 さいたま新都心 けやきひろば 
            (最寄り駅:JRさいたま新都心駅、JR北与野駅)
料金      : 入場料無料
公式ウェブサイト:http://www.sia1.jp/residents/exchange/fair/

−M

2013年10月21日月曜日

現地レポート! 「オークパンサー祭」

こんにちは!

ラオス特派員ですー!


10月も下旬、季節はすっかり秋ですね。


まあラオス夏だけどな!

気温30℃だけどな!

ヤシの木生えてっけどな!

っつってな!


夏といえばお祭りですね。

いつでも夏である以上、毎日がカーニバルなラオスですが(※若干盛った)、

この時期は、よりいっそう派手にお祭り騒ぎをします。

何のお祭りかって?

うんとねー、それはねー、



ググりましょ!

話せば長くなっちゃいます。


ざっくり言えば、仏教のお祭りです!ってことで許してください。


ビエンチャンのメコン河沿いは、1週間くらい前から、毎晩もーすっごいです。


期間限定で現れた、ジェットコースター、野外DISCO、ダンスステージ、ビアガーデンに、

今までどこに隠れてたんやってくらいのラオス人が押しかけます。


女の子とか仮装しちゃってるしね!

ハロウィンかっ!てね!

そんで一夏の恋も生まれちゃったりね!

いつも夏やんか!ってね!

てねてねっ!


そんなラオス人は、敬虔な仏教徒。

どんなにハイテンションでも、このお祭りの本来の目的は忘れません。


願い事をしたり、体内の悪いものを浄化したりするために、

火の灯ったロウソクとお花を河に浮かべ、手を合わせます。


この一瞬、彼らはお祭りの喧騒からは離れます。


毎日、近代的オフィスで働くサラリーマンも、バイクを乗り回してる大学生も、食堂でご飯作ってるおばちゃんも、

みんな一緒にお祈りします。


時代が変わるにつれ、西洋化されていく町から自然が消え、民族衣装が消え、澄みきった空気が消えても、


ずっと昔から受け継がれてきた大事な気持ちは消えないことを、

その様子は物語っていました。




2013年10月13日日曜日

現地レポート! 「オリエンテーション」

はじめまして!

学生団体J&Lラオス特派員ですー。

ここにたどり着いたということは、あなたはラオスが好きなのですね!

いやはや!嬉しい限り!

え?

検索ワードにたまたまひっかかっただけ?

なんてことを言うんだい!

せ、せ、せめて!この記事だけでも!

見ていってくださいな!


ラオスとは!


中国・タイ・ベトナムを始めとする名だたる大国に挟まれた小さな国です!

海なし!経済力なし!

あるのは長い川と、おいしいビール!


国中に流れるのんびりした空気と、そこに住む人々の暖かさは、長旅で疲れきったバックパッカーたちのハートをがっちり掴んで離しません(※ガチ)。


世界中の修羅場をくぐり抜けた戦士たちにとって、物価が低く、スリ・ぼったくりの少ないこの国は、まさにいやしの里なのでしょう。


実際に、首都ヴィエンチャンには、ラオスに沈没した「元」外国人がわんさかおります。


沈没は免れたものの、中毒になったかのように、何度も訪れる旅人も数えきれません。

そう、中毒。

ラオスのお酒はほんとにおいしいのでお気をつけください。


話変わっちゃいましたね。

失礼しました!


ラオスには、なんにもないのです。


タレントとか、キャラクターとか、ミュージシャンとか、「ラオスといえばこれ!」みたいな有名なものもないんです。


でも、なんでもあるのが当たり前の日本人が忘れてしまったものは、ちゃんとある気がするのです。


日本にあってラオスにないもの、ラオスにあって日本にないもの、

このふたつをあわせたら、なんだかいいことが起こりそうです。


それでは、明日あなたの検索ウインドウに、「ラオス」というワードが現れることを祈って。

さよーならー!


あ!そうだ!写真!


ビエンチャンにある、凱旋門(パトゥーサイ)です。

建設に際してのいきさつは色々あるのですが、一言で言うと、


フランス!


さようなら。



2013年10月11日金曜日

sabaidee!


こんにちは!
J&L副代表岡村です。

私たちJ&Lは、若者を中心として、ラオスと日本の架け橋になるという理念の元結成された、学生団体です。
J&Lの詳細や活動紹介は、コンテンツの中の「ABOUT J&L」をご覧ください。
J&Lと共にラオスの職業訓練生を支援する認定NPO団体、IV-JAPANについては、「ABOUT IV-JAPAN」をご覧ください。

2013年9月8日日曜日

9月の活動予定

 J&Lの活動予定です

  • 2日  J&L幹部ミーティング
  • 3日  J&L全体ミーティング
  • 9日  J&LとCopenica合同ミーティング
  • 10日   ココナッツクッキー試作、厨房借用依頼提出
  • 12日   IV-JAPAN日本事務局訪問、販売商品確認、       With You展示場下見
  • 16日   田中代表、岡村副代表のラオス訪問(〜27日)

2013年7月30日火曜日

2013年 J&Lメンバー

代表   田中奈津美(4)
副代表  岡村佳恵(4)
      柳沢美竣(4)

      三浦奈綾(4)
      戸田成紀(4)
      毛利香菜子(4)
      野田葵(4)
 
      滝口芽衣(3)
      辻村まりな(3)
      縫田あゆみ(3)
      山本唯(3)
      中山祐太(3)

      河戸幸恵(2)
      光成奈々子(2)

      片居萌子(1)
      高瀬みお(1)

2013年7月29日月曜日

宗教

 ラオス人のほとんどは『上座仏教』を信仰しています。ラオスには多くの寺院があり、ラオスを訪れた際にはオレンジ色の僧衣に身を包んだお坊さんが街中を歩くのをよく目にするでしょう。ラオスの上座仏教は寺院を基点として、人々の日常生活に深く溶け込んでいるのです。


✿具体的に上座仏教は人々の生活とどう関わっているの?
①托鉢
ラオス人の1日は「托鉢」から始まります。托鉢とはお坊さん側の表現で、人々が行うのは「喜捨」です。毎朝お寺から鉢を抱えたお坊さんと20歳以下の見習い層の行列がやってきます。すると、道端で腰を低く待っていた女性たちを中心とした在家者たちが、炊いたばかりのご飯などをその鉢の中に入れていきます。これが「喜捨する」ということです。お坊さんたちはお寺に戻り、人々が喜捨した朝ご飯を食べるのです。これはお昼にもあり、今度は村の女性たちがお寺へ向かい昼ご飯を喜捨します。この役割は各世帯の持ち回りとなっています。

②出家
「出家」とは悟りを開く道のりへの出発点で、上座仏教徒の男性が剃髪(頭の髪や顔のひげを剃ること)し、黄衣をまとい俗世界を離れ寺院にとどまります。ラオスの上座仏教徒にとって出家とは最大の徳を積むことであり、身内の男性に対し一生に一度は出家するべきであると勧めます。
出家期間は人によって様々で、早い人では数日で俗世界へ戻って来ます。


《参考:ラオスを知るための60章(明石書店)》

歴史

 ラオスがいつから成立したのかは、昔の資料が残っていないため、断定することができませんが、諸説ある中で、1353年にラオ族のファーグムという人が建国した、ラオ族最初の統一王朝ランサン王国がその起源として最も有力だと考えられています。ルアンパバーンに都を置くランサン王国の時代は、タイやベトナムと戦い、またラオ族文化と仏教も普及しました。1479年、ベトナムの侵攻により王国は崩れましたが、その後はベトナム勢を撃退しました。

 16世紀になると王国の勢力は最大になり、ラオ族の世界がチャンパーサック地方まで拡大されていきます。しかし1551年に即位したセタティラートの時代に、ビルマとの間に覇権争いが勃発しました。これを受けてセタティラート王は、ビルマの侵攻を避けるために、1563年ビエンチャンに遷都しました。一度ビエンチャンはビルマ郡に占領されますが、17世紀のスリニャウォンサーの時代に、ランサン王国は平和で仏教芸術が花開く黄金期を迎えます。

 スリニャウォンサーの死後は王位継承争いが起こり、1700年代初頭にランサン王国はルアンパバーン王国ビエンチャン王国チャンパーサック王国の三国に分裂し、(シャム)タイの支配下に置かれてしまいます。 

 そんなラオスのピンチに現れたのがアヌ王です!1804年にビエンチャン王国の国王として即位したアヌは、1827年シャムに反旗を翻します。結局アヌは撤退を余儀なくされますが、反撃は失敗に終わりますが、現在においても、アヌはラオスで最初に独立を求めたひとだといわれ、その勇気を讃えられています。

 その後しばらくシャムの支配が続きますが、1893年10月のフランス・シャム条約でメコン川東岸においてフランスの支配がスタートします。

 20世紀になるとラオス全体でナショナリズム運動が起こります。1940年代はルアンパバーン王国のペッサラートによるラオス刷新運動(ラオ・ニャイ運動)が顕著になり、文学や歴史研究を通してラオスアイデンティティが確立していきます。これと同時期にタイとフランスの間でタイ・仏印国境紛争が勃発し、タイが勢力を拡大してきますが、タイの支配から脱却するためだけでなく、ラオスの完全独立を目指して行われるようになりました。

 その動きの中で、1945年にラオスではじめてラオス人によって構成される政府、ラオ・イサラ(自由ラオス)政府が、樹立されましたが、フランスのビエンチャン占領により、ラオ・イサラ政府は万国へ亡命します。亡命政府を打ち立てたスパーヌウォンはベトミン側に、スワンナプーマーはフランス側につき、ペッサラートは中立の立場を選んだため亡命政府は解散しました。

 1945年から1975年の30年は、ラオスにおいて、独立をめぐった「30年に及ぶ闘争の歴史」と呼ばれています。1950年、ベトミン側についたスパーヌウォンとカイソーンは新組織、ネオ・ラオ・イサラ(ラオス自由戦線)を結成し、フランス領内での独立ではなく、ラオスの完全独立を目指して北部に解放区を築きました。1953年にラオス王国の完全独立がなされ、1975年には現在のラオス人民民主共和国が成立しました。

 参考文献:ラオスを知る60章 130~159ページ

基本情報

正式名称:ラオス人民民主共和国

地図:

http://atlas.cdx.jp/nations/asia/image/mlaos.gifより)

面積:24万平方キロメートル

人口:639万人

首都:ビエンチャン

民族:ラオ族を含む計49民族

言語:ラオス語

宗教:仏教



(外務省ホームページより)